42日目。

2002年9月27日
今日の予定

・実験(miniprep lysate回収→1.SDS-PAGE→transfer→blocking 2.immunoprecipitation)
・朝9時に研究室に行きたい

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昨日、髪を切りに行ったのだが、そこでのひとコマ。

「今日はどんなかんじで? 重めで?軽めで?」
「えーと・・・。多めで。」

素で間違えた。

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昨日は、実験をしなかったのだが、夕方研究室へ行って、いろいろと明日の実験の準備や、LBプレート(transformationした大腸菌を撒くためのプレート)をつくったり、論文をdownloadしたりしているなかで、自分が行っている蛋白質を取り巻くモデル図を考えた。なかなか頭が回転していいアイデアが浮かんできたので、調子はいいと思った。
けれど、こんなことも思い出した。佐藤賢一「王妃の離婚」の一節。

眠ろうと努力するだけ無駄だった。心得るフランソワは、試みにも横になろうとはしなかった。疲れてはいるが、集中力は高まっている。乗りに乗っているといってもよい。神がかり的な発想さえぽんぽん飛び出す予感がある。が、そのまま放置してはいけなかった。絶好調という自覚に反して、実は理想の状態には程遠いということを、フランソワは経験から知っていた。

フランソワというのは、小説の主人公で往年の天才学生なのである。この一節の教訓としてぼくが思うのは、自分が好調と感じるときほど、慎重に考えを推し進めなければならないということである。
その考えに本当に穴はないのか?別の考え方はないのか?さらにその考えを発展させるブレイクスルーは見つからないか?
そのためにとる一つの方法は、積極的にディスカッションを行うことである。ボスの助教授でもいいし、同じ蛋白質を扱っているグループのひとでもいい。

ただ、そこで起きる新たな問題。
それは、往々にして自分の知識不足により、議論がストップしてしまうことである。

生まれる気まずい間合い。それを省みないので、まわりのひとにいつも迷惑をかけっぱなしなのである。

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